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死地を越えよ

22歳くらい

石原さとみになりたかったあなたへ。金子みすゞ『明るいほうへ』

読書

石原さとみになりたい。全国の女子、そう思うよね。

どうして私は石原さとみとして生まれなかったんだろう。そう思うよね。

でもね、聴いて。あなたは石原さとみになれないし、石原さとみもあなたにはなれないんだよ。いやいやいやいやいや、石原さとみ、私になりたくないでしょうよ。

ということを病院の待ち時間に考えていた。「私は石原さとみになれないけど、石原さとみも私になれない」、これは、あれだ、金子みすゞだ。金子みすゞの『わたしと小鳥とすずと』だ。小学生の教科書に載ってるあれだ。天は、女子たちが自分は石原さとみではないということに気づき絶望する、そんないつかの日を予期してこの詩を義務教育としたに違いない。まさかこんなところで思い出すとは。教養は恐ろしい。教養は忘れたころに役に立つ。

わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない

わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ

鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい

そうだ、諸君。みんな違ってみんないいのだ。あなたはあなただから意味がある。

ところでみすゞはいつの詩人だと思う?みすゞは1903年生まれだ。おそろしい。100年を優に超えた今でもこの詩が訴える価値観は何よりも重要なものである。ちなみに天才詩人みすゞはそれなのに26歳で自らの命を絶ってしまう。全く天才というのは本当に短命だ。

というところまでWikipediaで調べたところで、突然みすゞの他の詩を読みたくなってしまった。私の知っているみすゞは、教科書で読んだ『わたしと小鳥とすずと』と『大漁』だけなのである。常に暗い方にいる私は、みすゞの『明るいほうへ』という詩集を読むことにした。

みすゞの詩は優しかった。まろやかで。毒素がない。優しすぎて、毒まみれの私にはよくわからないところもあった。100年以上前の文がずっと輝いている。詩のことなんか勉強したこともない、文学部でもなんでもない私でも、包み込まれてしまう。勇気が出る。

 『わたしと小鳥とすずと』を読んで、≪みんな違ってみんないい、そう思ってないとやってられない。でも、そう思えないことばかりだ。チクショー。「みんな違ってみんないい」本気でそう思える人はいるのだろうか。多くの人は「私が一番」もしくは「あいつが羨ましい」ではないだろうか。「私もいいし、あなたもいい」そんな聖人的境地に私はいつ至れるんだ馬鹿野郎。≫なんて薄汚いことを考えてないで『明るいほうへ』進まねばならない。