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死地を越えよ

22歳くらい

”やめる”という選択

その他

やめてしまったことがある。大学で所定の単位をもらって取れる資格だ。今のところ、その資格が何に役立つのかは明確ではない。ただ、「きちんと勉強してきました」ということと履歴書の免許・資格の欄に書くネタになるだろうくらいしか現時点では思いつかない。とりあえず資格取っておこうくらいの気持ちでその資格をとるレールの上に乗っていた。それをやめた。

 

やめた理由はなんだろう。どうとでもいえる。単位をとるのがめんどくさいから、役に立つかわからないことに時間を割くより今やりたいことをやりたいから。どっちも正解。なんでもやらないよりやったほうがいいという価値観は普通だと思う。それは正しいだろうと思う。それなのに、私がやめてしまった理由、それは「比較的教科書みたいな生き方してきたけど、大して幸せを感じてないな」というものだ。一般的に正しいと思われる方を常に選択してきたように思っている(個人的感想)。でも、あんまり満たされないな。そんな気がする大学生活だった。だから、やめるという決断をしてみた。

 

始めるとか続けるという選択はいつも正しいように見える。やめるという決断は、常に、なんとなく何かから逃げているような感覚を伴う(気がする)。田口淳之介KAT-TUNをやめるときも、「え、なんで続けないの?やめちゃうの?」という世論だったように思う。SMAPもそうかもしれない。やめるという決断は、その先に明るい未来が待っていることを予感させない。

 

続けたくて続いているのではなく、やめられないから続いているということもある。練習はだるいけどずっと習ってるピアノ、辞めるといえないバイト、別れる理由がないから付き合ってるカップル、深夜のカップラーメン。ピアノを続ければそりゃうまくなる、バイトは忍耐が付いて逃げ癖がつかない、付き合い続けたその先に幸せな家庭が待っている、深夜のカップラーメンは百害あって一利なし。いろんな、やめるという選択の先は、どうだろう。

 

資格を諦めたこと、いつか後悔するだろうか。それとも、やめてよかったと思うだろうか。何も思わないだろうか。この答えはいつ出るだろうか。