死地を越えよ

22歳くらい

わかる。

私がよく使っている言葉の1つに「わかる」がある。友人(うち9.5割女)と話す時によく使う。自然と心から「わかるー」と言うこともあるし、意識して、つまり相手が共感を求めているであろうことから「わかるー」と言うこともある。男性に対して「わかる」を使うことの効果は定かではないが、女は共感を求める生き物なので、女同士のコミュニケーションにおいて「わかる」が果たす役割は大きいといえるだろう。

尚、以下より鍵括弧が面倒なので、(「わかる」→ワカル)と表記する。

 

しかしながら、ふと考えると、このワカルは重要な役割を果たすからして、また厄介なものである。女子には、他人にわかってほしい気持ちと簡単にわかられたくない気持ちがあるからだ。「どうして、わかってくれないの!?普通こうじゃん」と責めたてたい夜もあるし、一方で「私って実は○○じゃーん」「え~そうなの~知らなかった」と言われたい夜もある。「私って実は○○じゃーん」に対して、「あー確かにわかるわ、そういうとこある」と軽々しくワカルと言われた日には、「てめえに私の何がわかんだよ。こっちの気も知らないで」とはらわた煮えくり返る思いをするかもしれない。このようにワカルはたった3文字にして非常に複雑なのである。

 

また、一言にワカルと言っても、2通りの意味のワカルがあると私は思う。「男って~○×△じゃーん」に対して、ワカルという場合、「あなたの気持ちがわかるよ、私もそう思う」と「あなたの言っている意味はわかる、私は必ずしもそうは思わないけど」がありえる。まあ、女同士の会話において多くの場合は前者であるが。女同士はなんでもあなたの気持ちわかる~と言いがちなのである。現状。

 

そこで、問題なのだ。

私はワカルが大好きだ。愚痴に対してワカルと言われれば、自分一人だけの悩みじゃないんだと心強くなるし、他人の話にワカルと発するのは、あ~これあるあるなんだ~と思って盛り上がれる。しかし、先ほどの例に見るようにわかり過ぎてはいけないこともあるのだ。軽率にワカルワカルワカルと言ってはいけない。その人の気持ちは正確にはその人にしかわからない。結局は、ワカル=わかったような気になっているに過ぎないのだ。もしも、あなたが本当にワカルを愛しているなら、ワカルをたびたび使用しながらも、その使い方には十分に配慮しなくてはならない。

 

そして、間違えても他人のワカルを越えてはいけない

 

関ジャニ'sエイターテインメント

関ジャニその後。

クロニクルに大ハマりしたのち、『関ジャム完全燃SHOW(テレビ朝日毎週日曜23:15)』を熱心に見るようになった。これは本当に良い番組。音楽の仕組み、カラクリを音楽なんてやったことない人にもわかるように優しく教えてくれる。もはや、関ジャニがやってる番組かどうかなんて抜きにして面白い。久保田利伸を呼んでのR&B解説やバックナンバーを呼んでのラブソング解説など、とても興味深い。そして番組終盤に、関ジャニのうち何人かとゲストアーティストとのセッションの場が設けられるのだが、それを見ていると、ああ、関ジャニってかっこいいんだなと思う。いつもお笑いイメージの彼らが真面目にバンドをやっている姿をじっと見ると、胸に響くものがある。それは彼らがちゃんと楽器が上手いからなのか、アイドルの輝きからくるものなのか。どちらかはわからないまま関ジャニ出演のテレビを追いながら過ごしていた。関ジャニへの気持ちはうなぎ上りというわけではなかったけれど、ゆるゆると確実に彼らへの好意・興味は高まっていた。すると、友人の関ジャニヲタから関ジャニライブ名古屋公演のチケットが余っているとの連絡が。これは行くしかない。現状お金はないけれど、こんなチャンスもなかなかなない。

 

関ジャニ'sエイターテインメント@ナゴヤドーム12月22日

開場前、沸き立つ周囲とは裏腹に、私は、「往復の新幹線とホテル代合わせて2万円で済んだのはまあよしとして、初心者が遠征までして来るものだっただろうか…」ともやもやしていた。それでもしばらくすると、「今この瞬間にいる何万人もが関ジャニのことを想っている」というライブあるあるな感情にしっかりと流され、感動の気持ちも大きくなっていった。

 

ライブは素晴らしかった。関ジャニ∞は素晴らしかった。

彼らはアイドルとして必須のかわいらしさ、キラキラ感を持ち合わせた上に、更に、雄々しさを兼ね備えていた。主にその”雄々しさ”はバンドにおいて感じられた。ポップなダンスとロックなバンド、そのギャップがおそらく魅力の第一なのだと推察できた。私たちの席は俗にいう天井席で、ステージははるか遠くであったが、その分全体を悠々と俯瞰することができた。私は、彼ら7人を双眼鏡で穴が開くほど見つめた。野鳥を観察するほどに必死で彼らを追った。ポップなシーンでははじけるような笑顔をレンズ越しに認めた。バンドでは前4人の竿隊が弦をかき鳴らすときに生じる筋肉の動きに夢中になった。力を入れると盛り上がる筋肉がとても美しかった。演奏して汗を迸らせる彼らの存在は本当に雄々しく、うなっていた。特に、小柄でお茶目で普段は可愛らしいイメージ満点の安田章大さんのギャップは凄まじかった。初めて参戦した人はみんな、安田担になっちゃうんじゃないの??というくらい(友人曰くそのパターンは実際多いそう)。

 

そして最後に、つくづくアイドルというのは不思議な存在だなと改めて思った。トップクラスに容姿が優れているわけでも、トップクラスに演技が上手いわけでも、トップクラスにダンスが上手いわけでもなく、トップクラスに音楽センスがあるわけでもない。彼・彼女ら(の肩書)は、モデルでも俳優でもダンサーでも歌手でもない。彼らは何のプロでもないのに何もかもにチャレンジする。にも拘らずそれは多くの人の胸を打つ。アイドルはまごうことなき光なのだ。彼らは彼らであることに価値があるのだろう。バンドをするジャニーズならTOKIOでいいじゃないか、と言った友人がいたが、そういう問題ではないのだ。彼らは、というよりアイドルは代替不可能な存在なのだ。はぁ、尊い。

 

あ、私は今のところ渋谷すばるさん推しです。

 

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ついにわかってしまった関ジャニ∞の良さ

※これを書いたのは2016年10月28日でした

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ついに、関ジャニ∞の良さがわかってしまった。

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人生で初めて買ったCDは『修二と彰』で、KAT-TUNとNEWSを好きになって。最近は、Kis-My-Ft2とHey!Say!JUMPを推していたわたくし。関ジャニ∞なんて、関西臭がひどくて、歌はいつもうるさいし、アイドル感薄いし…とりあえず視界に入っていなかった。そんな私が、今、『関ジャニ∞の元気が出るCD!!』なるものをリピート再生し、クロニクルと村マヨと関ジャムを毎週録画にしてしまった。怖ろしい勢いで関ジャニを吸収している

 

きっかけはYouTubeで見た『関ジャニ∞クロニクル(フジテレビ毎土ひる1:30)』である。(はあ、この衝動を文章化できるものだろうか…)『いきなりドッジ』という企画が凄かった。何の変哲もないリビングにいきなりボールが出現し、ドッジボールが始まる。ドッジボールといってもスポーツではなくあくまでバラエティで、つまるところ、メンバーが誰にボールを投げるかという心理戦である。シンプルすぎる企画で、こんなの面白くなるのだろうかと半信半疑で見ていた。ところが、これにドハマリしてしまった。関ジャニ∞の良さが素晴らしく引き出されていた。7人それぞれのキャラが立っている。(ジャニーズでは)関ジャニにしかできないと思った。キスマイも同じ人数だが、これをやってもこうはならないと思った。(もしも関ジャニがキスブサをやっても、全員ウケを狙いに行ってしまいそうなので、逆もまたしかりではあるが。)ひとりひとりのバラエティスキルが高いからこそできるシンプルすぎる企画だと思った。バラエティの関ジャニなんて言われるけど、私は、いやいやバラエティは芸人だろうよ、アイドルは下がってろ派だったのに。キャラや関係性が面白くて、もっと関ジャニを知りたいと素直に引き込まれる。

 

『いきなりドッジ』に始まり、『イケメンカメラ目線』や『英会話伝言ゲーム』、『女心を理解できるか』などどんどん見てしまう。色々な企画やコーナーがあるが、どれも一貫してメンバーそれぞれの【らしさ】が伝わってきて、ファンはテレビの前で「はぁ、○○くん、萌える~」とかなって絶対たまらないんだろうし、ファンじゃなくても「こいつの性格なんなん??」と思ってしまって、気づいたらメンバーの名前を覚えてしまっていそう。関ジャニ∞を好きになる入り口としては完璧すぎるぞ。ちなみに私は最後には「大倉くんの立派な肩につかまって対面座位したい…」とまで思うようになってしまった(危険)。

 

仲の良い友人に関ジャニの熱狂的ファンがいて、彼女の家に泊まりに行ったとき、関ジャニのライブDVDをぼんやり見ていたが、あれから3年経って、ついに彼女の気持ちをわかり始めてきた。関ジャニの良さがなかなかわからなくってスミマセン。この気持ちを伝えなくては!!と彼女にLINEした。でも、こんないきなり、こんな熱い話、受け止めてもらえるだろうか…。と思っていたが、送信した何倍もの熱量をぶつけられ、返り討ちにされてしまった。ジャニヲタおそるべし。

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ちなみに、1月3日23:30から1時間スペシャルですんで、そこんとこよろしく。

 

裸足で荒野は歩けない

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

新年あけましておめでとうございます。

昨年中に書きたいことがもっとあったのですが、間に合わず2017年になっていました。ということで、そちらはとりあえず寝かせて、新年最初はやっぱり抱負を。。。

 

では、発表します。今年、私が力を入れたいのはズバリ美容です。声を大に、いや、文字を大にして言わせてください。もう一度言います、美容です。

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昨年はもう本当に美容とは無縁の生活を送っていました。美容のクソ野郎って態度で、本読んだりテレビ観たりラジオ聴いたり、とにかく自己の内面を満たせばいいや~という体たらくでした(よく言えば、自分と向き合い、自己の内面を高めた)。しかし、1年この方針でやってきて、やっぱりだめだなと感じた次第です。なぜなら、どんなに内面を磨いても外界と第一に接触するのは常に外面だからです。外面を磨かない、美容を頑張らないということは、裸足で荒野を歩くということです。裸足で荒野を歩くのは、当然ですが、いつも痛いです。大した石ころじゃなくても躓きます。もうダメだとすぐに思います。

いつの世も、女は顔と言われてきました。見た目です。そんなことないと思う一方で、この考え方はもう人間のDNAに深く深く刻み込まれた、変えられない価値観の1つであると思います。自分より美しい人には太刀打ちできない学校で習ったわけではないのに、女はこれを本能的に察知しています。ああ、こんなに綺麗な人には勝てない、そんな小さな敗北が知らないうちに積もり、どんどん自分を小さくします。成長や飛躍を吸い取られる思いがします。

そうならないために、天は人に美容という名の鎧をお与えになったのではないでしょうか。日常という荒野を駆け抜けるために、鎧を纏えと。自分の血肉(中味)を守るために、自分に合った甲冑(=服、化粧品など)を選べと。

 

私は生き抜きたいのです。この戦乱の世を。美容という名の鎧を纏って。

 

ということで、今年は美容を頑張ります!!美容ブログが書けるように頑張ります!今年もよろしくお願い申し上げます。

 

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(よく調べもせずに、鎧と甲冑って書いちゃったけど、両者はどう違うの??鎧に関する本読みたいよ…。おっと、今年は美容を頑張るゾ!!)

 

 

『楽園のカンヴァス』原田マハ

 原田マハの『楽園のカンヴァス』を読んだ。最近積極的に本を読んでいるらしい友人が薦めてくれたのだ。彼女はこの本を読んで、大いに引き込まれて、美術に興味を持つまでになってしまったらしい。

 

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

 

 ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはある日スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは7日間。ライバルは日本人研究者・早川織絵。ルソーとピカソ、二人の天才がカンヴァスに籠めた想いとは――。山本周五郎賞受賞作。

 

 つまり、楽園のカンヴァスとは美術作品をめぐるミステリーである。

 

そんなに引き込み力の強い本なのかと思いながら読み始めるも、第一章では想像より引き込まれることがなかった。ほうほう、いつから面白くなるんだろうと思いながら、ページをめくった。ピカソやルソーの作品のことは全く分からないので、話に出てくるたびにググろうかと思ったが、調べるとなると膨大で小説どころじゃなくなってしまうぞと思い、文章から適当に思い浮かべていくに留めた。

第二章、第三章と読み進め、第四章まで読むと、この物語が①登場人物たちの現在(2000年)②登場人物たちの過去(1983年)③物語の中の物語(ピカソやルソーの記録。つまり、1900年前後?)の3つの軸があるとわかり、格段に面白くなった。ここで、引き込まれていった。それぞれが絡み合って、連鎖して、それぞれの謎が紐解かれていく。話が進むにつれて次々に、ルソー・ヤドヴィカ・ピカソのこと、織江・ティムのこと、バイラー・コンツ・ジュリエット…など、各々の思惑や込める想いが明らかにされていく。

 

ミステリーでありながら誰が死ぬわけでもなく、絵画をめぐって(美術品の見識を深めながら)、いくつもの愛が丁寧に描かれていて、すごくバランスのいい話だなと思った。(今に始まったことじゃないけれども、偉そうに言ってスミマセン)

たしかに、これを読んだら美術館に行きたくなる。もっともっと美術を知りたいと思う。もっと多くのことを知っていたら、もっと多くのものが見えるんだろうと感じた。なんの関係も見いだせなかったものの間に、実は、自分が知らないだけでなんらかの繋がりがある、世の中はそんなことだらけなんだろうと今一度意識した。

186頁に

その頃、ピカソは、一冊の本を読んでいました。「地獄の季節」。あの放浪の詩人、アルチュール・ランボーの詩集です。その中の一節が、画家の心のひだにぐいっと指を突っこんできて、そのまま抜けずにおりました。

とあった。きわめて個人的な感想だが、ここでぞわぞわっとした。ランボーって、中原中也が訳したやつか!私の好きな、悲しみの詩人、中原中也が訳したランボーピカソランボー中原中也、私。一見なんのつながりもない人間が、ごく細い糸で繋がれていた。マジカルバナナみたいな感じ。(この並びに自分を入れるの厚かましいにも程がありますね)

 

というわけで、面白かったです。わくわくドキドキハラハラと温かい気持ちのバランスがとてもよかったです。絵のことも好きになります。原田マハさん、ほかにも美術関連のお話沢山書いてるんですね。絵への愛が溢れています。解説が作家の方ではなく、大原美術館館長だったことからもそれがにじみ出ているような気がしました。もしも次に読むなら、『暗幕のゲルニカ』を読みたいです。

 

暗幕のゲルニカ

暗幕のゲルニカ

 

 

12月15日。

その日、月は美しかった。今までに見たことのないほど、大きく、丸く。色は青白いのではなく、真っ黄色だった。そして、今にも落ちてきそうなほどの低いところにあった。月が空から零れ落ちる気がした。つまるところ、その日の月は妖艶で、私はその美しさのあまり、「ああ、もう地球も終わりか」と思った。もう、地球は壊れてしまうんだと思った。帰り道ずっと眺めるもすぐに家に着いてしまって、離れがたいと思った。しかし、手に握りしめているのは絶不調のiPhoneで写真は撮れなかった。

 

家に帰って、月が綺麗だったと父に話すと、「お前も随分風流なことを言うなあ」と言われ、そうか、月が綺麗だと思うことは風流なのかと思い、続いて、夏目漱石の逸話を思った。I love you(私はあなたを愛してる)なんて日本人は言わないから、「月が綺麗ですね」とでも訳しておきなさい。

 

夏目漱石先生に、西野カナさんを紹介したいと思った。「夏目先生、日本人はここまで成長しましたよ」と。そして、願わくは、夏目漱石西野カナとバックナンバーによる『ボクらの時代(フジテレビ)』を。これこそまさに、”ボクらの時代”。

『蹴りたい背中』

綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んだ。

”このもの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい” 長谷川初実は、陸上部の高校1年生。ある日、オリチャンというモデルの熱狂的ファンであるにな川から、彼の部屋に招待されるが…クラスの余り者同士の奇妙な関係を描き、文学史上の事件となった127万部のベストセラー。史上最年少19歳での芥川賞受賞作。(文庫背表紙より)

 

蹴りたい背中というタイトルが素敵だなと、最初に思った。

さびしさは鳴る」という一文から始まり、その後終始、主人公(長谷川)が五感で感じる全てを詩的に細かく描写していく文が続いていく。描写描写描写…描写の嵐。違和感を感じるほどの描写は、主人公が孤独だからだ。学校で友達はいなく、クラスメイトの繰り広げる仲良しごっこも冷めた目で見つめている。孤独だから、自分の周りの音にも匂いにも触感にも、人一倍気がついてしまう。

にな川と長谷川はオリチャンを追っていくうちに、友情でも恋愛でもないような不思議な絆を築いていく。にな川はオリチャンに夢中で、長谷川はそんなにな川が気になって仕方ない。最後まで二人の不可思議な関係は続き、結局にな川はオリチャンに会えないまま終わる。

青春小説は、部活(練習、挫折、衝突、仲間、成長、成功)や恋愛(片思い、両想い、障害、疎遠)などが基本で、それは読んでいてすごく楽しいし、読み終わった後は感動したりすっきりしたり自分も頑張ろうと思ったりする。

それなのに、『蹴りたい背中』は全然そうじゃない。もやもやしたまま話は進み、にな川も長谷川も、”余り者”から脱すことなく、また、二人の関係が大きな進歩を遂げることもない。青春小説のドキドキ感はない。

 

みんながみんな、キラキラした青春時代を過ごすわけではない。これこそが学生時代、というイメージ通りに生きている人だけではないし、それが正解というわけでもない。そっち側を目指したり、そっち側に憧れる必要はない。ひねくれ者たちの、こっち側の世界を、堂々と、丁寧に書いた話だなと思った。

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

 

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友人が、2か月間の語学留学から帰ってきた。彼女は、典型的な、”海外に憧れちゃってます”系女子である。髪型はロング、センター分け前髪で眉毛に力入れてるメイク。服装は白Tにデニム、足元はコンバース。好きな歌手はテイラースウィフト、セレーナゴメス、ブルーノマーズ。彼女は2年生のころからずっと留学したいと口にしていた。そして、ついに行った。海外志向が強いのは良いことだが、日頃の勉強をおろそかにし、行きさえすれば、海外の空気に触れさえすればいいと思っている姿勢が、端的に言うと、私は嫌いだ。(笑) 嫌いでもあり、そんな浅はかな考えで突き進めるところをとても羨ましくも思う。私にはできないことである。称賛に値する。

きっと彼女は明日から、海外行ったら人生変わった、考え方変わった、日本はここがダメ、と熱く語り歩くのだろう。「たった2か月海外に行っただけで、簡単に変わっちゃうような人生観しか持ち合わせずに20年も生きていたなんて、自分はなんて薄っぺらいんだろう、恥ずかしい」とは決して思わないのだ。羨ましい。尊敬の念が堪えない。