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死地を越えよ

22歳くらい

『蹴りたい背中』

綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んだ。

”このもの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい” 長谷川初実は、陸上部の高校1年生。ある日、オリチャンというモデルの熱狂的ファンであるにな川から、彼の部屋に招待されるが…クラスの余り者同士の奇妙な関係を描き、文学史上の事件となった127万部のベストセラー。史上最年少19歳での芥川賞受賞作。(文庫背表紙より)

 

蹴りたい背中というタイトルが素敵だなと、最初に思った。

さびしさは鳴る」という一文から始まり、その後終始、主人公(長谷川)が五感で感じる全てを詩的に細かく描写していく文が続いていく。描写描写描写…描写の嵐。違和感を感じるほどの描写は、主人公が孤独だからだ。学校で友達はいなく、クラスメイトの繰り広げる仲良しごっこも冷めた目で見つめている。孤独だから、自分の周りの音にも匂いにも触感にも、人一倍気がついてしまう。

にな川と長谷川はオリチャンを追っていくうちに、友情でも恋愛でもないような不思議な絆を築いていく。にな川はオリチャンに夢中で、長谷川はそんなにな川が気になって仕方ない。最後まで二人の不可思議な関係は続き、結局にな川はオリチャンに会えないまま終わる。

青春小説は、部活(練習、挫折、衝突、仲間、成長、成功)や恋愛(片思い、両想い、障害、疎遠)などが基本で、それは読んでいてすごく楽しいし、読み終わった後は感動したりすっきりしたり自分も頑張ろうと思ったりする。

それなのに、『蹴りたい背中』は全然そうじゃない。もやもやしたまま話は進み、にな川も長谷川も、”余り者”から脱すことなく、また、二人の関係が大きな進歩を遂げることもない。青春小説のドキドキ感はない。

 

みんながみんな、キラキラした青春時代を過ごすわけではない。これこそが学生時代、というイメージ通りに生きている人だけではないし、それが正解というわけでもない。そっち側を目指したり、そっち側に憧れる必要はない。ひねくれ者たちの、こっち側の世界を、堂々と、丁寧に書いた話だなと思った。

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

 

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友人が、2か月間の語学留学から帰ってきた。彼女は、典型的な、”海外に憧れちゃってます”系女子である。髪型はロング、センター分け前髪で眉毛に力入れてるメイク。服装は白Tにデニム、足元はコンバース。好きな歌手はテイラースウィフト、セレーナゴメス、ブルーノマーズ。彼女は2年生のころからずっと留学したいと口にしていた。そして、ついに行った。海外志向が強いのは良いことだが、日頃の勉強をおろそかにし、行きさえすれば、海外の空気に触れさえすればいいと思っている姿勢が、端的に言うと、私は嫌いだ。(笑) 嫌いでもあり、そんな浅はかな考えで突き進めるところをとても羨ましくも思う。私にはできないことである。称賛に値する。

きっと彼女は明日から、海外行ったら人生変わった、考え方変わった、日本はここがダメ、と熱く語り歩くのだろう。「たった2か月海外に行っただけで、簡単に変わっちゃうような人生観しか持ち合わせずに20年も生きていたなんて、自分はなんて薄っぺらいんだろう、恥ずかしい」とは決して思わないのだ。羨ましい。尊敬の念が堪えない。

 

 

GUのコピーが面白い

GUがめちゃくちゃイケてる話。

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GUは今、高良健吾がモデルやってるんだけど、それがめちゃくちゃかっこいい。高良さんのために買いたくなるくらい。GUに行ったら是非とも、頭上にある横長のポスター(上の写真のような)を見てほしい。まず、高良さんを見て「ああ、かっこいい」と思ってから、そこで目を離さずにコピーも読んでほしい。上のでいうと、【羽織れば、即、今年っぽい。】のやつ。これはGUのHPに載ってたやつで、特別面白くはないけど、店舗には他にも何種類かあって。

 

【MA-1は空を飛ぶための服だ】というのがあった。(原文ままではない。正確に覚えていないがこんなニュアンスの)これは面白い。今年大流行りしているらしいMA-1はそもそも軍服のフライトジャケットである。それを知らずに流行りだからと着ている純真な人に対して、斜に構えたファッション好きはきっと「あれは、元々飛行機乗りが着る服だったんだよ。それがおしゃれなんて、市民権得ちゃってさ~」とか言う(笑)。性格悪い、私みたいなやつが言う(笑)。でもそんな斜に構えた偏屈な奴に対してGUは、「ん?知ってるよ。MA-1は空を飛ぶための服だよ?僕はこれを着て羽ばたきたいんだ」って正攻法で返してくる。逆手に取ったか~~~と私は思った。これはやられた。面白い。

 

あと、これ。

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【ワイン色。青二才には似合わないね。】

青二才:年が若く、まだ一人前になっていない男。(三省堂国語辞典

このMA-1ブルゾンは、カラー展開がブラック・ワイン・オリーブ(カーキ)・ネイビーなんだけど、やっぱり一番手が出ないのがワイン色(えんじ)だろう。チャレンジャー・上級者しか手を出さないであろう色。青二才には似合わないよ?」と言って、こちらを試してくる。「お前はワイン色の器か?」と。

と、そこに競馬場で険しい顔で新聞を眺めていそうな60歳過ぎくらいのおじさんが、熱心にこのMA-1を吟味していた。ワイン色を何度も、何度も羽織って試している。「さすがっす、先輩」と私。青二才には似合わねえよ。俺が着るんじゃ、見とけ若者」とおじさん。そんな会話が聞こえるようだった。ところが、しばらくすると、おじさんはネイビーにも手を出し始めた。ワイン色とネイビーで迷い始めた。「このワイン色、あなたに着こなせなかったら誰に着こなせるんですか!」と、私はもう釘付けだった。私はワイン色を応援した。おじさんにワイン色は似合っていたし、GUからの挑戦状に受けて立ってほしかった。人生の酸いも甘いも経験したであろう、青二才の対極にいるおじさんが着ずに、誰が着られようか。おじさんは何色を買うのだろうか…。私は静かに見守った。本当に長い間迷っていた。

 

 

おじさんは・・・・・・・ネイビーを買った。

それは、GUの勝利なのか。はたまた、年齢を重ねたからと言っておごり高ぶらず、まだまだ自分は発展途上であるとするおじさんの勝利なのか。

買ってもらえるほどの魅力がなかったGUの敗北なのか。GUからの挑戦にビビってしまったおじさんの敗北なのか。

この攻防の真相は誰にもわからないことなのであった。

着る服無い(その後)

いや、冷静に考えて(冷静に考えなくても)、カズレーザー方式はやっぱり違うわ。一色しか着ないって…。今日だけ1色コーデはできても、毎日は厳しいって。しかもその1色が「赤」って。常人には理解できない。どんな心理。被服心理学的に謎深い。誰かこのテーマで卒論書いたら?まだ誰もやってなさそうだし。

 

10月から始まったメイプル超合金のラジオ(『有楽町合金』)で、初めて流れた曲がMr.Bigの『Green-Tinted Sixties Mind』だった。曲振りして流れてきたのがこの曲のイントロだったとき、おったまげて笑っちゃった。1991年の曲。誰も知らなくない?誰も今聴いてなくない?選曲のセンスもどうなっちゃってんの。奇跡的に私はMr.Big好きだったから知ってるけどさ。(知ってる自分もどうかと思うけど。)初回の放送って、今後聴いてもらえるかがかかってる今日重要な回だと思うんだけど、誰にも媚びずにこの曲選ぶのぶっとんでる。カズレーザー曰く、毎朝聴いてるとのこと。なんで?(笑)やっぱりちょっとずつ常人離れしちゃってるのかな。

 

で、着る服の話に戻ると、あれからとりあえずユニクロとGUに行ったのね。ユニクロとGUは洋服難民の砦だね。あんまりしっくりくる服はなかったけど、そもそもしっくりこない体型、カリカラで生きてるなうだから、こんなもんなのかな。さっさと、カリカラ抜け出そう。ダイエットって挫折しがちで、挫折すると「ああ、また負けた~」って思うけど、それでもまだ痩せるの諦めてないの、ある意味スーパー【負けず嫌い】だな(ポジティブ)

GUとユニクロ行って、全部微妙って思って、古着屋行ったらカワイイの沢山あって、テンション上がって、やっぱ服好きだなって思って、でも今着ても似合わないやつばっかで、結局早く痩せようってなった。(笑)

 

ちなみにGUがめちゃくちゃイケてた。これは、また次に書くね~~~~~。

着る服無い(マジのやつ)。

知らないうちに11月すらも1週間たった。明日から頑張ろうと思っていたことは、来月から頑張ろうになり、来月から頑張ろうは、もはや、来年から頑張ろうに変わってゆく。

 

ところで、マジな話、着る服がない。季節が変わると、毎回、「着る服がないぞ??去年の私何着てたっけ??」ってなるの、あるあるだと思うが、そういう生易しい【着る服がない】問題ではないのだ…!!!事態は想像よりも深刻である。色々あって、激太りしてしまったため、今までに着ていた服がパツパツで、サイズ的に良い服がないのだ。よって、この一年、サイズアップによる洋服の総とっかえが必要となっている。金銭的に苦しいのもあるが、そもそもこの体ですっといるつもりではなく、必ずや体重を戻さなくてはという意識はあるため、高い服は買いたくない。来年には痩せてぶかぶかになっているはずだから、今のこの仮の体、略してカリカラのために大金をはたくことはできぬ。カリカラのための手ごろな服が必要なのである。

 

というところまでは、よしとして。もう一度言おう、事態は想像よりずっと深刻である。

寒いな→冬服ないな→買いに行こう→買いに行くときに着る服がないぞ→困った。とりあえず寝よう→しまった!ゴロゴロしてるともっと太る→痩せるためにも積極的に外出せねば→おっと、着る服無いんだった→振出しに戻る 

怖ろしいだろう???これの永遠ループなんだぜ??

 

以上を何巡かしたのち、ああ、マジやべえ、打破して服買わないともっと太る…と思って、ちゃんと考える。デブでも着られる服あるのかな。デブって何着てもデブだなあ。「痩せ見え」とか「コンプレックス隠し」とか、そういう次元じゃないのよ。全裸でいたいよ。でも寒いから無理か。法もあるし。ああ、早く痩せなきゃ。でも、10㎏くらい太るとさすがに一筋縄ではいかないね。自己責任。自己嫌悪。やべ、落ち込んでも痩せないから、せめて明るくいなきゃ。で、本題に戻って、何着たらいいかな。【デブは何着ても微妙。健康的な体重なしにおしゃれなし】のもと、考える。デブなんか何着たって大差ない、一緒。なんだけど、私って、何も考えないで服着るの無理なのね(デブが何言ってんだろ(笑))。こういう理由でこれ着てます。こういう哲学のもと、こういう予定があるので、これ着てます。って説明できないと気に入らないの。この体型でどんな哲学ぶらさげていけるのかな。太っちゃって着られる服の選択肢が狭いのに、どんな縛り作れる?で、、、、

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こういうのどうかな???左じゃないよ。右ね。カズレーザー方式どうかな。つまり、色縛り!衣装じゃなくてプライベートでもずっと、初志貫徹、赤い服しか着ないやつ。超哲学。ディスイズ哲学。

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 喪中以外赤。すごいシンプルかつ難しい縛り。赤しか着ないとか一見ファッション放棄してる風だけど、限りある中で組み合わせ考えてるの、めちゃめちゃファッションだな。私は黒好きだから黒しか着ないルールでいようかな。黒にこだわる服選び。これならサイズ関係なくできる。着たい服無くて選べなくても、とりあえず体が入る黒い服買えばいい!

((((続く))))

ももクロとSex and the Cityと枯渇9に見る普遍性

ももいろクローバーZの『(BS朝日 SUZUKI Presents)極上空間』を見た。しおりんが免許を取ったということで、しおりん運転、助手席あーりん、後部座席れにちゃんの3人で、ボックスから引かれたカードに書かれたトークテーマに沿ってトークしながら、富士急ハイランドを目指す。この様子が、ただの二十歳そこそこの女の子でとても面白かった。私たちと変わらないじゃんという感じだった。アイドルでもそうじゃなくても変わらないんだなって。

  • 『アイドルじゃなかったら何してた?』うわー、こういう話あるある。今の学科じゃなかったら何にする?とか。もう一回高校からやり直すとしたら、同じ道選ぶ?とか。あるなー。
  • 『○○に言いたい!これだけはやめて』では、れにちゃんが「もうやめてって思うことがなくなってきちゃったよね」と。(笑) 23歳の発言らしい。このもう達観しちゃう感じ、絶対あるよね。

途中から、有安合流して、

  • 「(メンバー5人は)ももクロじゃなく出会っていたらあまり仲良くならないタイプ」としおりん。「学校で出会っていたら、この5人にはならない 」とうなずく4人。こういう会話もあるなあ。なんで私たち仲いいんだろ?とか。あのときはこんなに仲良くなるなんて思わなかったよねえ。とか。

高校生の時、【枯渇9】っていう名前で9人仲良くしていたことを思い出す。(笑) 卒業してから全員そろって会うことなんて全くないけど、もしも今9人でドライブしたら、こんな雰囲気だよ。そして、これと同じようなこと、Sex and the City見たときも思ったな。『Sex and the City』が女性たちの絶大なる支持を受けて、大ヒットしちゃった理由がめちゃめちゃわかったよ。これ見たら、女はみんな、これってまるで私たちみたいって思うんだもん。舞台はニューヨークだけど千葉でもわかるよ。極上空間のももクロもSATCも、普遍的の極み。「私たちっていつまでこんな話してるんだろ」って、全国の女子会が思ってるんだろうね。自分たちだけこんなこと話してるよねなんて思いきや、全国津々浦々みんな思ってるんだよね。

 

あー、ももクロいつまでスズキの広告塔やってるんだろ。私、車にこだわりとかないから、もし車買うなら安易に、ももクロちゃんハスラーがいいんだけど。

この記事を書きたいと思っていたら、枯渇9のメンバーからももクリのお知らせが来た。ナイスタイミングっっっ。

社交不安障害だった

前回、前々回に続き、病院の話を。病院の話、人より多く持ってる、プロ患者なので。今回は救われた方の話ね。

aikokikutokuraiko.hatenablog.com

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私は一年前、社交不安障害だと診断された。

 

自分でいうのもなんだが、私はすごくパワフルで、いろいろ頑張りたくて、毎日燃える尽きるように生きていた。大学も楽しかったし、バイトも遊びも充実していた。それが、突然、本当に突然、崩れてしまった。なかなか家から出なくなった。自分を取り巻く色々なことから逃げたくなった。逃げたり立ち向かったり、逃げたり立ち向かったり…次第に立ち向かえなくなることばかりになった。家どころか自分の部屋からも出たくなくなった。いじめられたり、不当な扱いを受けたりすることはなく、自分には家族も友人もちゃんといることも頭ではわかっていた。それでも、バイトは辞めたし、学校は行かなくなった。単位を落とさないギリギリのところでゆらゆらしていた。毎日、消えては自然発火していたはずの炎が、突然吹き消されてどう頑張っても点かなくなった。

逃げるのはよくない、甘えるな、情けない、そう毎日思った。でも、そうやってどんなに自分を奮い立たせようとしても、うまく自分を動かせなかった。家族も異変に気付き、ついに精神科に行くことにった。精神科に行くことは実はずっとためらっていたことだった。自分はおかしい、行かなきゃいけないと思っても、そのたびに、もし、「あなたはどこもおかしくありません。ただ、甘えてるだけです。」と言われてしまったらどうするんだろうと思ったからだ。

 

診察に行くと、私は声をあげて泣いていた。泣き止みたくても、何が悲しいのかわからないから、余計に涙を止めることができなかった。ずっと泣いていた。先生は何も言わずにたくさんティッシュをくれた。むせび泣きながら、症状を説明した。疲れても夜眠れず明け方やっと眠れること、空腹でもないのに吐きそうになるほど食べること、学校や街、人の多いところに行くのがとんでもない苦痛であることなど。それから、先生は私にいくつか質問をした。家族・学校・バイト・将来のこと…。伝わらなさそうないろんな気持ちを全部言葉にした。

「社交不安障害です。」と言われたとき、嬉しかった。ほっとした。安心した。この現象には理由があって、それはいつか解消されるものだとわかったからだ。私はおかしくて甘えてるんじゃない、病気なんだと。先生は「大したことないです。薬で治る病気です。」と言った。そして、「小中高、今までよく周りを見てきて、一つ一つに一生懸命対処してきたんでしょう。でも、大学になって関わる人が多種多様になって、数も増えて、さらに将来・就職を考えたらもっと自分と違う人と関わることになる。そのことに疲れてしまったんでしょう。」と穏やかに教えてくれた。

最後に先生はおっしゃった。「さっき、アイコキクトクライ子さんは、「他の人の長所ばっかり見えて、自分には何もない気がして苦しくなる」って言ってたけど、そんなことないよ。自分の症状を伝えるのめちゃくちゃ上手かったよ。心の病気は説明するのが難しくて、何言ってるのかわからない人も多いけど、アイコキクトクライ子さんのは手に取るようにわかったよ。それは才能じゃない?」と。

先生のこの一言が忘れられない。頭の中にあることをうじうじと話したくなることは悪癖だと思っていた。自分はすぐに文句を言ったり、弱音を吐いたりしてしまうんだと思っていた。でも、見たことや聞いたこと、感じたことを言葉にしようともがくのは、誰にでもできることではないのかもしれないと気づけた。ずっと苦手だと思っていた人と関わることにも、得意な部分があるかもしれないと思った。就職活動で自己PR、長所は『人と話すこと』にした。「相手に伝えるためにどの言葉を選んだらいいか考えて話すことが得意です」と言った。そして、今はすいすいと文章を書いて楽しんでいる。松山先生のこの一言がなかったら、もしかしたらずっと、私は自分らしさを押し殺して悩み続けていたのかもしれない。

ありがとうございました。

 

あれから一年が経って、いつかこの日のことを忘れてしまうのかもしれないと思ったら、記録せずにはいられず赤裸々に書いてしまった。

 

月に一度会う人②~考察編~

 

aikokikutokuraiko.hatenablog.com

 

病院の先生の専門は、患者の病気を治すことです。おしゃべりのプロではありません。そんなことわかっています。しかし、どうも患者の気持ちに寄り添えない医者が多いなあと、よく病院に行くプロ患者の私は思います。どうしてでしょうか。

私なりに考察させていただきますと、患者として医者に憧れ、医者を目指す人(患者経験者が医者を目指す)が少ないことが一因であると考えられます。学校の先生を目指す時、「学生時代に出会った先生がとてもいい先生だったから」という志望理由はありふれているように思いますが、「(子どもの患者が)自分の大病を治してくれた、あの先生にようになりたい」というのは少ないと思います。理由は2つです。1つ目は、そもそも子供のころに大病を患っていると、健康状態による制約があり、医者のハードな労働環境に適応できない場合があるということ、2つ目は、医者が狭き門であることです。医者になるには教師よりもずっと勉強ができなくてはならず、憧れだけで突き進むことは難しいです。医者という職業は、社会的ステータスになるから、親が医者だからなど、やりがいのほかにも医者を目指す大義名分が豊富にあるため、医者に憧れる患者以外の参入が大きく、さらに厳しい競争です。大きく分けてこの2つが、患者経験者(子ども)が医者にならない理由だと私は思います。(ちなみに、余談ですが、私には医者になんかなるもんかと思った理由があります。「お医者さんは病気なんか治してくれない。病気は自分で治すものだ」と幼いながらに、気づいてしまったからです。(笑) 医者はスーパーマンのような気がしますが、病気に立ち向う患者様の方がずっと強く、美しいです。)

というわけで、「患者が医者に憧れ、医者を目指す」パターンは少ない、つまり、病気になり患者側(受け手側)を経験して、医者(与える側)になる人が少ないため、なかなか患者の気持ちを分かってもらえていないのだと考えます。(元カレが薬剤師を目指していましたが、彼はスーパー健康体で病院・薬局なんか人生でほとんど行ったことがなく、お薬手帳?なにそれ?状態でした。患者なめんなと思いました。)

 

病気の治療までしてやって、さらに医者に優しさとかトーク力とか求めるな、とおっしゃる方もいるでしょう。その通りかもしれません。しかし、患者と医者はつかず離れず、月に一度会う(私の場合)ことを約束されている不思議な関係です。その人の人生に比較的、長く、深く関わる、数少ない一人なのです。処置以外の、診察中のひとつひとつの言葉・表情・仕草なども患者に大きな影響を与える治療の一つであることを忘れないでいただきたいです。患者は注射や薬だけに助けられているのではありません。先生の言う、些細な一言に救われることもあります。(今度そのことも書きますね。)

 

全国のお医者様、また医者を目指す皆様、お世話になるのに文句垂れてすみません。いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。